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大変お久しぶりです。

3月より更新とまってることに自分でびっくりです。笑
私はというと4月より愛知の大学病院にて2年目の研修医(歯科)をやってます。
当初はあれやこれやとありましたが、今はなんとかやっていってます。

ブログって自分の頭を整理するのに良くて、今日久々に開こうと思った理由というのが
12月4日に私の父方の祖母が亡くなったことです。
最近は大体ツイッターに潜伏してるんですが、長々とした思い出語りにあそこは向かないんですよね。笑
というわけで思い出話書くために登場しました。

父方の祖父母は実家より車で10分ちょっとくらいのところに住んでますので、高校生くらいまでは頻繁に会ってました。
高校生から今までもまぁ数ヶ月に一度は。
近くに住んでてもあまり私が会いたがらなかったので、両親や妹はもっと頻繁に会っていますが私はかなり少なめになります。
正直言うと祖母のことはあまり好きとは言いがたかったです。
祖母は医者の家系に生まれたお嬢様、祖父は今でも現役の医者であり、祖母は数年前までは非常に『お医者様』プライドが高く、医者じゃなければ/ならなければ価値が低いかのような物言いがとても多かったです。
それに母親も中てられたようになっており、そのまま私にも中てられ「医者になるべきであり、医者こそが最上」みたいな感覚に囚われており、また医学部も一応受験したんですが受かるわけもなく、でもあっさり歯学部に入る選択をしました。
結果高校生から大学生半ばまでは私はひどいコンプレックスの塊のようになってました。
なので卑下するとまではいいませんが、私に対し価値が低いかの物言いをし、また医学部に入ることになった妹をはっきりとわかるほどに溺愛するようになった祖母をあまり好きではなかったです。嫌いとまではいいませんが。
でも大学生半ばより、なぜかいきなり「あれ?私本当に医者になりたかったか?」と思い始めます。確かに医学の勉強はしたいのです。全身疾患への興味はあるので。でも仕事としてしたいのは「歯科治療」であって、自分で自分の技術をもって患者さんを治す歯医者になりたいのは昔からもっていた夢だったじゃないかと気づき始めました。
そして同じ時期、その数年くらい前よりなぜか祖母の感覚も変わってきており、「やりたいことをやればええやないの」というようになりました。なんか不思議。笑
なお従兄弟たちは医療系なんてかすりもしてません。笑
でも祖母の感覚が本当に変わってきてたらしいことを知ったのは本当につい最近で、物言いが変わったのは自覚してたんですが私に気を使ってたんだと思っていました。そして結局あまり会いたくないまま。

でもなんだかんだで祖母は祖母であって、医者にならない/なれない人はかわいくなかろうと、孫である私自身は可愛かったのは私自身も自覚していたところで、きちんと愛されていたとは思っています。

祖母の病気が発覚したのは9月のことでした。肝細胞癌でした。
叔父(父の兄)の出産時の輸血によりHCV感染していたそうです。C型肝炎であることは私たちは全く知りませんでした。
その1年前に股関節の手術を受けており、そのときには肝臓を含めて血液検査もCTも何の異常もありませんでした。
そして歩きやすい設備を整えて、リハビリの器具を買って、そしていつかのときのために実家の裏に祖父母用の家を建てようと土地を買う計画をたてているとき、祖母が血を吐いたという連絡がありました。
そのとき祖母は元気で、自分で勝手に吐いた血を片付け休もうとしており、祖父が「お前血を吐いたのか」って聞いてやっと発覚しました。どこまでも自由なばあさまです。
で、叔父の勤める高山の病院へ父が送り届け、検査した結果が肝細胞癌。
見つかったときには既に5cm程度の大きさにまでなっており、門脈浸潤もしておりました。でも全身転移はなし。
でも大きさ・位置より手術の適応とはならず、化学療法も年齢としてつらい。本人にも告知した上で、「積極的な治療はしない」と決めました。そしてできるだけ家で生活すると。
それから1ヵ月半ほど、家で動けるときは動き、できるだけ寝てすごしました。
しかしかなり進行が早く、腹水貯留もかなりの量となり、トイレは短くなり食事は食べられなくなり、どんどん弱っていき、いよいよ家では看られないとなって再度病院へ行くことに。
結局病院で2週間から3週間ほど過ごした後、12月3日の深夜に叔父から父母へ電話がはいり「もうもたない。今から来るなら看取りまでは間に合わせるがどうか」と言われ、向かうことを決意し、翌日朝の12月4日の9時27分に亡くなりました。満82歳でした。
私は4日の7時頃に連絡をもらい、一旦職場に向かった後、先生方にことわって病院へ向かったんですが間に合わず、私は看取ることはできませんでした。

そのまま私は木曜日・金曜日と忌引きをいただき、病院行きはあきらめ妹を拾い実家へ向かい、葬儀の準備を手伝い、納棺し、土曜日は午前のみ出勤し悪天候のためタイヤを交換し、通夜を済ませ、今日告別式、出棺の際の遺影持ちを孫代表として私がさせていただき、火葬、拾骨、初七日法要、お墓への納骨をすまして今家へ戻ってきました。

正直憎たらしいばあさまだと思っていたし、癌発覚の直後に連絡をもらっていたので結構心構えはできていました。
でもいざ通夜で祖父が祖母へ香典をあげ拝んでるのを見ると、さすがに涙が!笑
ぞくぞくとご縁のあった方がみえたんですが、その方たちは癌のことを知らされていないため(進行が早すぎて言えていなかった)本当に急死したかのようになっており泣き崩れる方もみえたり、一番ご縁のあった方に弔辞を読んでいただいたんですが涙で弔辞が読めないなんてこともあったり、葬儀の最後に祖母のプロフィールナレーションが写真とともに流れるのですが最早妹が大号泣で号泣しすぎてしゃくりあげが止まらず本人が笑いだし私も笑う(※葬儀の最後)というイベントもありました。

なんだかんだ顔が広く、憎たらしいけど上品で人好きなばあさまでした。
今仏壇見ても、なんでそんなところに写真飾ってるのーおばあちゃんまたどっかで喋ってるのかなーみたいな気分になります。笑
やっぱり寂しいなと思いました。誰よりも長生きするんじゃないかななんて思ってたのに。
こうやって時間は流れていくんだなと思います。
ばあさまには天国で友達作っておいてもらって、じいさまを引き寄せるのはまだまだ後にしておてほしいところです。笑
おばあちゃん、どうか安らかに。
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